瀧廉太郎と同じく、肺結核により夭逝した作曲家。
福井県丸岡町に生まれ。貧しい生活だったが、音楽が好きで雑誌『赤い鳥』の通信講座で作曲を学んだという、この時期の音楽家の中では珍しい存在といえるだろう。
16歳の時、大好きだった
北原白秋の「ちょうちょ」にメロディを付けて同誌へ送ったところ推薦曲として認められた。異例の選出だった。
18歳の時に、白秋の「ペチカ」にメロディをつけ、これが彼の代表作となる。「ペチカ」は白秋の作詞、山田耕筰の作曲によるものが一般には有名だが、今川の手になるものは白秋が<君の方が好きだ>と軍配を上げた言われる。
以後、童謡、賛美歌、校歌ほか限られた歳月の中で260余曲を遺した。24歳の時には交響曲「四季」を完成させている。