1824年初演 1826年出版
An die Freude
「歓喜の歌」
一部,『交響曲第9番ニ短調 合唱付き』から
Friedrich Schiller
(1759年〜1805年)
Ludwig van Beethoven
Op.125
「交響曲第9番ニ短調 合唱付き」は、ベートーヴェンの代表的一作として世界的に有名な曲である。耳が聞こえなくなるという絶望をはねのけて、彼の晩年を飾った傑作である。中でも第四楽章の合唱曲「歓喜の歌」(喜びの歌)は、日本でもおなじみであることは言うまでもない。初演、1824(文政7)年。
重い病に加え、経済的困難、そして近代市民社会の挫折(フランス革命〜ナポレオン専制政治)と、一人の優れた表現者に積み重ねられた苦悩が「歓喜」という名のもとに、自然との共存、虫けらにさえも命ありという崇高な音楽世界を生み出した。
その意味においてもこの交響曲は、日本とも因縁が深い。「第九」が初めて演じられたのは、鳴門・板東ドイツ人俘虜(ふりょ)収容所だった。それは第一次大戦終結直前、1918(大正7)年6月のこと。松江豊寿所長のゆるやかな拘束のもと、収容所内でコンサートが許可され、その第2回演奏会に「第9」が奏でられた。
また、太平洋戦争さなかの1943(昭和18)年、東京音楽大学(現・東京芸術大学音楽学部)における学徒出陣者を送る壮行会で「第9」が演奏され、終戦後、今や帰らぬ人となった学友のために、「第9」が鎮魂歌として彼らに捧げられた。現在、全国いたる所で行われている「年末・第9まつり」は、これをきっかけとする、と言われている。「第九」は、日本において、戦争と人権が出発点だったのである。
「歓喜の歌」はシラーの「歓喜に寄せる」を元としている。若い頃からこの詩に感銘を受けていたベートーヴェンは、交響曲の最終章にこの詩を置き、あの感動的なメロディを書いた。
シラー詞への導入部はベートーヴェン自らが作詞。詞の内容をごく手短にまとめれば、
「友よ、これまで演じてきた調べではなく、もっともっと、喜びに満ちた歌をうたおう!(ここまでがベートーヴェン)歓喜。それは神の輝き。それは楽園の乙女。あなたはこの世が散り散りにしたものを結びつけ、すべての人間たちを兄弟となす。…この世界に生きるものすべては自然の恵みより生まれ、良き人、悪人、虫けらでさえも歓喜が与えられる」(訳、藤田正)
日本の教科書で子どもたちが教えられる日本語詞とは、雲泥のオリジナルである。
*『メッセージ・ソング 「イマジン」から「君が代」まで』(藤田正著、解放出版、2000年)から、著者自身による再構成を経て記載。
楽譜 歌詞 A4縦 6頁
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