桜が開花して最初の日曜日となった2003年3月30日、江戸東京博物館では「江戸の子守唄 考」という、子守唄や童謡、唱歌を楽しむイベントが開かれた。
出演は、子守唄の研究でも知られる詩人の松永伍一、作家の石川英輔、シンガーのなぎら健壱や原荘介、川口京子ほか。また江戸の神楽(松本源之助社中)や、子どもたちによるわらべ歌やダンスもあり、約2時間のイベントは盛りだくさんの出し物で構成されていた。司会は西舘好子(日本子守唄協会代表)。
イベントの題名となった「江戸の子守唄」は、日本では最も知名度が高い子守唄である。その成立(あるいは普及)は元禄時代にまで遡ると言われている。最初に舞台に上がった松永、石川の解説によれば、それは、当時世界最大の都市であった江戸と、地方との活発な経済文化の交流に負うことが大きいとのことである。「江戸の子守唄」が全国各地で多くの類歌を生み出したのも、参勤交代いう珍しい制度によって文化が常に「かきまわされていた」(石川)ことが大きな要因であり、それも特に西に多いのは江戸と関西など西方地域との経済的な結びつきによるものではないか、という。
短い時間だったため、比較的新しいタイプの「竹田の子守唄」などに代表される「守り子唄」と、「江戸の子守唄」ら「寝かせ唄」との成立事情の違い(女性や子どもの社会の変貌)などについては踏み込んだ話にはならかった。
原荘介による「江戸の子守唄」の類歌「沼津の子守唄」などの紹介、なぎら健壱による明治・大正時代の流行歌の数々も面白かった。最後に登場した川口京子は、「毬と殿様」に始まり「電車唱歌」「電車」「お山の大将」「東京タワーの歌」(作者不詳)と、江戸から東京へと移り変わる首都のイメージを懐かしい子どもの歌で綺麗にまとめ上げていた。渋谷の川のせせらぎに材を得た「春の小川」に隠された逸話(子に対する作者の愛情)の紹介も、このイベントにふさわしいものだった。
「江戸の子守唄」(パンフレットから)
ねんねんころりよ おころりよ
坊やはよい子だ ねんねしな
ぼうやのお守りはどこへ行た
あの山越えて里へ行た
里のおみやになにもろた
でんでん太鼓に
笙の笛
あきゃがり
小法師に
犬張子