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クラシック 楽譜 - クラシック - ジョプリン
   楽譜
 「THE LITTLE BROWN JUG」 イーストバーン  1869年
1869年  薩摩藩の軍楽生がフェントンに吹奏楽を学ぶ 
 「Pass me not」 ウィリアム・ハワード・ドーン  1870年出版
1870年  宮内庁に雅楽部が設置される 
1870年  薩摩軍楽隊、フェントン作曲の「君が代」を御前演奏 
 「G線上のアリア」 J.S.バッハ/ウィルヘルミ編曲  1871年編曲
 「ぶらんこ」 ビゼー Op.22-1  1871年
 「こま」 ビゼー Op.22-2  1871年
 「お人形」 ビゼー Op.22-3  1871年
 「木馬」 ビゼー Op.22-4  1871年
 「羽根つき」 ビゼー Op.22-5  1871年
 「ラッパと太鼓」 ビゼー Op.22-6  1871年
 「シャボン玉」 ビゼー Op.22-7  1871年
 「目隠し鬼ごっこ」 ビゼー Op.22-9  1871年
1871年  ドイツ帝国成立 
 「Out of the flames!」 ビッセル  1872年
1872年  (日)太陽暦へ切り替え 
1873年出版  『ピアノ・ヴィルトゥオーゾ』 ハノン 
 「プロムナード」 ムソルグスキー 
 「プロムナード」 ムソルグスキー 
 「古城」 ムソルグスキー 
 「プロムナード」 ムソルグスキー 
 「テュイルリー、遊んだ後の子供のけんか」 ムソルグスキー 
 ワルツ集「愛の歌」 ブラームス Op.52a-1  1874年出版
 ワルツ集「愛の歌」 ブラームス Op.52a-2  1874年出版
 ワルツ集「愛の歌」 ブラームス Op.52a-3  1874年出版
 ワルツ集「愛の歌」 ブラームス Op.52a-4  1874年出版
 ワルツ集「愛の歌」 ブラームス Op.52a-5  1874年出版
 ワルツ集「愛の歌」 ブラームス Op.52a-8  1874年出版
1875年  (仏)ビゼー「カルメン」が初演 
 「ハバネラ」 ビゼー  1875年初演
 「GRANDFATHER'S CLOCK」 ヘンリー・クレイ・ワーク  1876年
1876年  (米)ベル、電話発明 
1876年  日朝修好条約(江華島条約)調印 
1877年  東京大学設置 
 「Sequel to Grandfather's clock」 ヘンリー・クレイ・ワーク  1878年
1878年  『こどものためのアルバム』 チャイコフスキー Op.39 
 「朝の祈り」 チャイコフスキー Op.39-1  1878年
 「冬の朝」 チャイコフスキー Op.39-2  1878年
 「小さな騎士」 チャイコフスキー Op.39-3  1878年
 「ママ」 チャイコフスキー Op.39-4  1878年
 「兵隊の行進曲」 チャイコフスキー Op.39-5  1878年
 「病気のお人形」 チャイコフスキー Op.39-6  1878年
 「人形のお葬式」 チャイコフスキー Op.39-7  1878年
 「ワルツ」 チャイコフスキー Op.39-8  1878年
 「新しいお人形」 チャイコフスキー Op.39-9  1878年
 「マズルカ」 チャイコフスキー Op.39-10  1878年
 「ロシアの歌」 チャイコフスキー Op.39-11  1878年
 「農夫の歌」 チャイコフスキー Op.39-12  1878年
 「ロシアの踊り」 チャイコフスキー Op.39-13  1878年
 「ポルカ」 チャイコフスキー Op.39-14  1878年
 「イタリアの歌」 チャイコフスキー Op.39-15  1878年
 「フランスの古い歌」 チャイコフスキー Op.39-16  1878年
 「ドイツの歌」 チャイコフスキー Op.39-17  1878年
 「ナポリの踊り歌」 チャイコフスキー Op.39-18  1878年
 「おとぎ話」 チャイコフスキー Op.39-19  1878年
 「魔女」 チャイコフスキー Op.39-20  1878年
 「甘い夢」 チャイコフスキー Op.39-21  1878年
 「ひばりの歌」 チャイコフスキー Op.39-22  1878年
 「辻音楽師」 チャイコフスキー Op.39-23  1878年
 「教会にて」 チャイコフスキー Op.39-24  1878年
1879年  文部省、音楽取調掛を設置 
 「カプリッチョ 嬰ヘ短調」 ブラームス Op.76-1  1879年出版
 「カプリッチョ ロ短調」 ブラームス Op.76-2  1879年出版
 「間奏曲 変イ長調」 ブラームス Op.76-3  1879年出版
 「間奏曲 変ロ長調」 ブラームス Op.76-4  1879年
 「カプリッチョ 嬰ハ短調」 ブラームス Op.76-5  1879年出版
 「間奏曲 イ長調」 ブラームス Op.76-6  1879年出版
 「間奏曲 イ短調」 ブラームス Op.76-7  1879年出版
 「カプリッチョ ハ長調」 ブラームス Op.76-8  1879年出版
1879年  琉球藩を廃し沖縄県とする 
 「金婚式」 マリー 
1880年  エッケルト編曲「君が代」が雅楽稽古所で初めて演奏される 
1882年  (独)ガソリンエンジンの自動車発明 
 「Don't be cruel to the motherless darlings!」 ヘンリー・クレイ・ワーク  1882年
1883〜1884  (瑞)(英)蒸気タービンの発明 
1883〜1885  (独)ニーチェ『ツァラトゥストラ』発表 
 「THE SILVER HORN.」 ヘンリー・クレイ・ワーク  1883年
1883年  鹿鳴館が落成(鹿鳴館時代) 
1883年  鹿鳴館完成 
 「Oh My Darling, Clementine」 パーシー・モントローズ  1884年
 「アメリカン・パトロール」 ミーチャム  1885年作曲
 「忘れな草」 リヒナー Op.160-6 
 「蝶々」 グリーグ Op.43-1  1886年作曲
 「愛の歌」 グリーグ Op.43-5  1886年作曲
 「サラバンド第1番」 サティ  1887年
1887年  川上音二郎の「オッペケペー節」が流行(壮士演歌の時代) 
1887年  東京音楽学校、東京美術学校が開校 
 『3つのジムノペディ』 サティ  1888年
 「アニトラの踊り」 グリーグ Op.46-3  1888年作曲
1889年  パリ万博で「美しく青きドナウ」 
 「月の光」 ドビュッシー  1889〜90
 「夢」 ドビュッシー  1890年
 「グノシエンヌ第1番」 サティ  1890年
 「グノシエンヌ第2番」 サティ  1890年
 「グノシエンヌ第3番」 サティ  1890年
 「前奏曲」 アルベニス Op.165-1  1890年出版
 「タンゴ」 アルベニス Op.165-2  1890年出版
1890年  第1回国際メーデー開催 
 「ソルヴェイグの歌」 グリーグ Op.55-4  1891年作曲
 「アラベスク第1番」 ドビュッシー  1888〜91
 「アラベスク第2番」 ドビュッシー  1888〜91
 「カプリッチョ ニ短調」 ブラームス Op.116-1  1892年出版
 「間奏曲 イ短調」 ブラームス Op.116-2  1892年出版
 「カプリッチョ ト短調」 ブラームス Op.116-3  1892年出版
 「間奏曲 ホ長調」 ブラームス Op.116-4  1892年出版
 「間奏曲 ホ短調」 ブラームス Op.116-5  1892年出版
 「間奏曲 ホ長調」 ブラームス Op.116-6  1892年出版
 「カプリッチョ ニ短調」 ブラームス Op.116-7  1892年出版
1893年  (独)ディーゼルエンジン発明 
 「グロテスクなセレナード」 ラヴェル  1893年作曲
1893年  ドボルザーク「新世界から」 
1893年  文部省が祝祭日用唱歌として「君が代」ほか8曲を公示 
 「ユモレスク 第7番」 ドボルザーク Op.101-7  1894年
1894年  ロシア・フランス同盟締結 
1894年  日清戦争勃発 〜1895年 
1895年  (伊)マルコーニの無線電信機の発明 
1895年  (独)レントゲンによるX線発見 
 「野ばらに寄す」 マクダウェル Op.51-1  1896年作曲
 『森のスケッチ』 マクダウェル Op.51 
1896年  (雅)アテネで第一回オリンピック開催 
 「ト調のワルツ」 ベール Op.490-1 
1898年  (米)ハワイ併合の決議可決 
 「亡き王女のためのパヴァーヌ」 ラヴェル  1899年作曲
1899年  シベリウスの交響詩「フィンランディア」 
 「メープル・リーフ・ラグ」 ジョプリン  1899年
1899年  (蘭)第一回ハーグ国際平和会議 
19世紀末  アメリカでジャズが誕生 
 「ジュ・トゥ・ヴー(あなたが欲しい)」 サティ  1900年頃
1900年  (独)フロイト『夢判断』を出版 
 「イージー・ウィナーズ」 ジョプリン  1901年
 「ピーチェリン・ラグ」 ジョプリン  1901年
1901年  (瑞)ノーベル財団創設 
 「エンターティナー」 ジョプリン  1902年
 「アラバマからのそよ風」 ジョプリン  1902年
 「エリート・シンコペーション」 ジョプリン  1902年
 「ストレニアス・ライフ」 ジョプリン  1902年
1902年  日英同盟締結 
1903年  国産の蓄音機が発売される  
 「パーム・リーフ・ラグ」 ジョプリン  1903年
 「ウィーピング・ウィロウ」 ジョプリン  1903年
1903年  (米)ライト兄弟、人類初の動力飛行 
 「ピカデリー」 サティ  1904年
 「カスケーズ」 ジョプリン  1904年
 「クリサンシマム」 ジョプリン  1904年
1904年  日露戦争勃発 
 「ユージニア」 ジョプリン  1905年
1905年  ロシア第1革命 
1905年  韓国保護条約 
1906年  南満州鉄道株式会社設立 
 「グラジオラス・ラグ」 ジョプリン  1907年
 「ノンパレル」 ジョプリン  1907年
1907年  英露協商締結 
 「グラドス・パルナスム博士」 ドビュッシー  1906〜08
 「パイナップル・ラグ」 ジョプリン  1908年
 「フィグ・リーフ・ラグ」 ジョプリン  1908年
 「象の子守歌」 ドビュッシー  1906〜08
 「ソラース」 ジョプリン  1909年
 「ユーフォニック・サウンド」 ジョプリン  1909年
 「パラゴン・ラグ」 ジョプリン  1909年
1910年  添田唖蝉坊「むらさき節」 
 「デルフィの舞姫たち」 ドビュッシー  1909〜10年
 「帆」 ドビュッシー  1909〜10年
 「亜麻色の髪の乙女」 ドビュッシー  1909〜10年
 「ストップタイム・ラグ」 ジョプリン  1910年
1910年  最初の「文部省唱歌」誕生 
1910年  日韓併合 
 「スコット・ジョプリン・ニュー・ラグ」 ジョプリン  1912年
1912年  タイタニック号が沈没 
1912年  明治天皇崩御、大正天皇が即位 
 「マグネティック・ラグ」 ジョプリン  1914年
1914年流行  「まっくろけ節」流行 
1914年  第1次世界大戦勃発 〜18年 
1916年  (墺)フロイト『精神分析入門』刊行 
1916年  (独)アインシュタイン『一般相対性理論』形式化 
1916年  (露)レーニン『帝国主義論』執筆開始 
1916年  (露)ラスプーチン暗殺 
 「官僚的なソナチネ」 サティ  1917年
 「リフレクション・ラグ」 ジョプリン  1917年
1917年  ロシア第2革命、ソヴィエト成立 
58件 180件 122件
ジョプリン
CD『King of the Ragtime Writers』
Scott Joplin
アメリカ
生誕地:テキサカーナ
(1868年11月24日〜1917年4月1日)
 音楽家年表
 アメリカ黒人が作り上げた音楽スタイル「ラグタイム ragtime」の中で、最も知られる作曲家/ピアニスト。明治維新の年にテキサス州テキサカーナで生まれ、1917年、ニューヨークで亡くなった。
 1885年から1893年にかけてはセントルイスのナイト・クラブで演奏し、90年代にはミズーリ州のセダリアでザ・クイーン・シティ・ニグロ・バンドでコルネットを吹いていた。93年には、シカゴ万博にも出演している。
 当時のアメリカでは、楽曲はシート・ミュージック(楽譜)の売り買いによって世間に広まったが、ジョプリンも例外ではなく「Please Say You Will」「Picture of Your Face」など自作曲の権利を売っていた。彼にとって初めてのラグタイム曲となる「Original Rags」(1899年)も同様であった。
 しかし、彼の代表作「メイプル・リーフ・ラグ Maple Leaf Rag」は印税契約という、当時の黒人としては異例の方法が取られた。そして、この契約を申し出たジョン・スターク(白人)と共同歩調を取ることによってスコット・ジョプリンは、ラグタイムの象徴となった。ちなみに「メイプル・リーフ・ラグ」(1899年)のシート・ミュージックは、発売されたその年だけで7万5千部も売れたという。
 ジョプリンはその後、たくさんのラグタイム曲を出版してゆくが、彼の望みはバレーやオペラなど「格の高いジャンル」で認められることだった。このような彼の意識背景には、アメリカの黒人差別があることは言うまでもない。ジョプリンはバレー曲「The Ragtime Dance」(1902年)、オペラ「The Guest of Honor」(03年)を作るが、ことごとくが失敗におわった(「The Guest of Honor」は出版もされなかった)。
 そうこうしているうちに、ラグタイムに影響され、より黒人色の強いジャズが台頭してくる。1910年頃には彼は梅毒におかされ、17年に亡くなる。ラグタイムがアメリカ最初の「自国の音楽」として欧米で持て囃されたのは19世紀末から1920年あたりだと言われているが、ジョプリンはまさにその短い時代に世に出て、そして亡くなったミュージシャンだった。
パイナップル・ラグ ---- ジョプリン
スコット・ジョプリン・ニュー・ラグ - ジョプリン
メープル・リーフ・ラグ ---- ジョプリン
Joplin - Elite Syncopations
Joplin - Maple Leaf Rag
永遠のポップス(2)ベスト358
ユーフォニック・サウンド ---- ジョプリン
ストップタイム・ラグ ---- ジョプリン
マグネティック・ラグ ---- ジョプリン
フィグ・リーフ・ラグ ---- ジョプリン
パラゴン・ラグ ---- ジョプリン
イージー・ウィナーズ ---- ジョプリン
エリート・シンコペーション ---- ジョプリン
エンターティナー ---- ジョプリン
ジョプリン
リフレクション・ラグ ---- ジョプリン
グラジオラス・ラグ ---- ジョプリン
クリサンシマム ---- ジョプリン
カスケーズ ---- ジョプリン
ウィーピング・ウィロウ ---- ジョプリン
ストレニアス・ライフ ---- ジョプリン
アラバマからのそよ風 ---- ジョプリン
ピーチェリン・ラグ ---- ジョプリン
パーム・リーフ・ラグ ---- ジョプリン
ノンパレル ---- ジョプリン
ユージニア ---- ジョプリン
ソラース ---- ジョプリン
Joplin - The Entertainer
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