ヨーロッパ・クラシック音楽(初期ロマン派)の大物。「ピアノの詩人」とも呼ばれ、後世に優れたピアノ作品を残した。
1810年、ポーランドに移り住んだフランス人の父(ニコラス・ショパン)と、ポーランド人の母(ユスティナ・クジザノフスカ)の間に生まれる。4歳の時からピアノのレッスンを受け、その才能はまたたく間に開花、8歳には同国の貴族社会の中で第2のモーツァルトの登場とまで言われるまでになった。
1825年、「ロンド ハ短調」を出版(作品1)。ショパンが15歳のデビュー作である。
1829年、ウィーンで演奏会を開き大成功を収める。31年、パリへ向かい、同地でロッシーニやメンデルスゾーン、リストらとの交流が始まる。
1836年、友人となったリストの紹介により、小説家のジョルジュ・サンドと出会い恋におちる。46年、破局。すでにこの頃、数多くの名作を発表していたショパンだったが、彼の体は結核によって深刻な状態になっていた。
49年10月17日、パリで39歳の短い生涯を終える。
ショパンの代表的な作品としては、以下のようなものがある。
故国への愛情を裏づける「マズルカ」や「ポロネーズ」といったポーランドの舞曲。
全部で4曲ある「バラード」、同じく4曲ある「スケルツォ」。
前奏曲としては、「前奏曲 作品28の6」「同 作品28の7」
「同 作品28の15(別名、雨だれの前奏曲)」など。
「練習曲」とはいえショパンらしく深い味わいをたたえた全27曲……この中には、ポーランド革命軍がロシアに鎮圧されたショックを胸に書かれた「練習曲 ハ短調 作品10の12(別名、革命のエチュード)」がある。
「ショパンのノクターン(夜想曲)」として知られる全21曲の内では、「5番」を筆頭に
「2番」「8番」が最も親しまれている。
このほか21曲あるワルツの内、
「華麗なる大円舞曲 作品18」、
「子犬のワルツ」(ワルツ 作品64の1)なども有名。
生前には発表されず、死後に友人によって「幻想」と名づけられた
「即興曲第4番(幻想即興曲)」も、彼の才能をいかんなく発揮した傑作として知られている。