わかやま・ぼくすい
【作詞】
宮崎県東臼杵郡東郷村坪谷
明治18年(1885年)8月24日生
昭和3年(1928年)9月17日没
静岡県沼津市
歌人。「旅の歌人」とも称され、その短い生涯の中で7000余首の歌を詠んだ。
宮崎県東臼杵郡東郷村(現・東郷町)に、医師の長男として生まれる。本名、若山繁。
若い頃から詩歌に興味を持ち、1901(明治34)年、 彼が16歳の時には雑誌『中学文壇』に投稿し入賞をはたす。号を牧水としたのは18歳の時だった。
早稲田大学時代は同級であった北原射水(後の北原白秋)、中林蘇水と共に「早稲田の三水」と呼ばれ、文学者として生きることを決意する。
1908年、処女歌集『海の声』出版。
25歳(1910年)、2作目となる歌集『独り歌へる』を出版、続いて詩歌雑誌『創作』と3作目の歌集『別離』を世に問い注目の歌人となった。以後『路上』『死か芸術か』『みなかみ』『秋風の歌』『砂丘』『朝の歌』…とコンスタントに作品集を発表し、文学界に大きな足跡を残した。
1920(大正9)年、一家で沼津に引越す。彼が愛した千本松原の伐採に対して反対運動の先頭に立ち静岡県による計画を断念させたことは有名だ。
43歳の秋、以前から様態が思わしくなかったがついに病床に臥し(急性腸胃炎兼肝臓硬変症)、その直後に帰らぬ人となった。
2005年1月には、寄贈された関連資料の中から未発表の短歌1首、未公開書簡11点があったことがわかり話題となったが、時を経てもなお注目の歌人であることが窺える。
写真提供:
沼津市若山牧水記念館
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