慶応4年(1868年)3月流行
宮さん宮さん
「トンヤレ節」ともいう。明治の時代(近代)となってからのち、初めて全国に流行した、その第1号と言われる歌である。
慶応4年(明治元年)3月、「薩長土肥」の軍勢が王制復古の勢いに乗って江戸へと攻め入ったその道すがら、兵士たちが口にしたのがこの歌だったと言われる。当時の官軍の軍楽隊が演じた官軍マーチ(チーターカ・ラッタッタ〜)と同様に、広く長く日本人の耳に残っているメロディである(ただし永六輔は、2003年の『NHK人間講座 人はなぜ歌うか』で、官軍マーチを高らかに演奏しながら軍勢が品川へやってきたというのは伝説でしかないと明言している)。
歌には、菊の紋が入った錦の御旗を立てた官軍が、鳥羽伏見の戦いほか、勇ましく東征する様子が織り込まれている。
この歌は明治18年にロンドンで初演されたオペラ「ミカド」にも登場し、堀内敬三も「明治時代の最初の流行歌は同時に国際的に知られた最初の日本歌曲だったのだ」と説明している。
詞は、
品川弥二郎(1843〜1900)。彼は長州の藩士で、のちに内務大臣から枢密顧問官になった人物。作曲の
大村益次郎(1825〜1869)は医学、兵学を修め、のちに兵部省のカナメである兵部大輔に任ぜられた人物(周防国吉敷の出身)だが、彼一人でこのメロディを作ったかどうかは定かではない。