大正8年(1919年)1月1日 東京有楽座で上演
芸術座『カルメン』の劇中歌
煙草のめのめ
新時代の女優ナンバー・ワン、
松井須磨子と彼女が在籍した藝術座は、日本の流行歌にとっても大きな影響力を及ぼした存在だった。それはなにより
「カチューシャの唄」に代表されるが、同時に彼らの演劇活動によって、作曲家・中山晋平を世に送り出したことも忘れてはならない。
中山は出世作
「カチューシャの唄」のあと、藝術座にいくつも作品を提供しているが、たとえば
「今度生れたら」「にくいあん畜生」、そしてこの「煙草のめのめ」などの藝術座系の作品を聞いていくと、のちの
「アメフリ」(雨、雨、降れ、降れ、母樣が…/北原白秋作詩/1925年)などにつながる、スキップするような中山独特の一典型がこの「大正デモクラシー」の時代に形成されたことが理解できる。
「煙草のめのめ」は、戯曲「カルメン」の舞台で歌われた作品で、もともとはオリジナルであるメリメの「カルメン」に材を得て創作された。世の中の一切合財を捨てて、自暴自棄になっているような白秋の詞は、ひたひたと押し寄せてくる暗い時代の陰と無縁ではないだろう。
そしてこの「カルメン」が大当たりを取っている時(1919年1月5日)、松井須磨子は、愛人・
島村抱月の後を追って首吊り自殺する。一時代の終わりだった。