作詞家としては童謡「浜千鳥」などの作品を持つ。
子ども向けの雑誌の草分けである『少女号』の編集兼発行人でもあり、築地小劇場の創設者である
小山内薫ほか、小川未明、
弘田龍太郎、
サトウハチロー、
野口雨情、室生犀星などそうそうたる作家陣と付き合った。ちなみに『少女号』の創刊は、雑誌『赤い鳥』よりも2年早い1916(大正5)年のことである。
『少女号』から生まれた童謡には、「
清水かつら/
弘田龍太郎」コンビによる「
靴が鳴る」「
叱られて」などがある。
旧・深川区生まれ。本名は佐太郎という。
1910(明治43)年、初めての童話「塔の姫」が『毎日電報』(『毎日新聞』の前身)に載ったことがきっかけで、児童文学者の巌谷小波(いわやさざなみ)の門下となる。その後、竹貫佳水、蘆谷盧村、山内秋生らの少年文学研究会の同人に。童謡の時代である大正期には北原白秋らとも交流し、童話作家協会の創立者の一人となった。