日本におけるクラシック音楽の土台を築いた大きな存在。一般には「赤とんぼ」「ペチカ」「待ちぼうけ」といった童謡や、「この道」などの作品で知られている。
1908年、旧・東京音楽学校声楽科(現在の芸大)を卒業した後、ドイツの王立アカデミー音楽院に留学、ブルッフやヴォルフに師事する。この時、日本人として初の交響曲となる「かちどきと平和」を作曲した。
14年に帰国し、同交響曲を披露。翌年、その時のメンバーを中心として東京フィルハーモニー交響楽団を創設させた。25年、
近衛秀麿と共に日本交響楽協会(現在のNHK交響楽団の前身)を設立する。こういった活動は、西洋音楽(ヨーロッパ・クラシック音楽)を日本に定着させるための重要なステップとなった。彼また、日本楽劇協会を設立しオペラの普及にも努めた。作曲も含めたこれらの活動は、欧米でも高く評価され、フランスからはレジョン・ド・ヌール勲章を授与されている。
このほか、
北原白秋と共に雑誌『詩と音楽』を創刊、
小内山薫(演出家)とは劇団「土曜劇場」「新劇場」を結成、はたまた音楽以外では抽象絵画の巨匠カンディンスキーを初めて紹介するなど、芸術の様々な分野で才覚を発揮した。