「荒城の月」(土井晩翠作詞)で知られる夭逝した作曲家。日本における作曲家第1号とも言われて、明治以後の日本音楽を語る上で欠かすことのできない才人。
東京生まれだが、役人であった父の転勤により、横浜、富山、大分など住まいを転々とする生活を送る。明治31年、東京音楽学校を卒業ののち、同校の嘱託に。この時期に「荒城の月」や「箱根八里」を完成させた。「荒城の月」は、彼が最も愛したといわれる豊後竹田の岡城阯をイメージして作ったと言われている。
明治34年、日本で初めてのピアノの留学生としてドイツに学ぶが、病に倒れ、帰国。23歳の若さで亡くなったのはその2年後のことだった。
そのほかの作品には
「花」「鯉のぼり」
「お正月」「さよなら」「四季の瀧」「納涼」「荒磯」などがある。