明治34年(1901年)3月
『
中学唱歌』
荒城の月
土井晩翠と瀧廉太郎によるコンビが作った傑作。
「さくら さくら」などとならび、これまで日本を象徴する歌として公式な場でも盛んに演奏されてきた。
今、目の前にある草生(くさむ)す荒れた城に接しながら、栄華を誇ったかつての時代を振り返るというシーンから始まる。天上に浮かぶ月を眺めながら、人の栄枯盛衰をしみじみと訴える作品である。
土井晩翠は、仙台二高の教師でもあり文学者としても各方面から尊敬を集めた人物。明治以降、盛んに作られた寮歌、校歌のほとんどが晩翠の影響下にあると言われている。
瀧廉太郎は、早くに亡くなった人物だが、日本における本格的な作曲家第1号とされ、「箱根八里」などの作品を残した。
「荒城の月」は、晩翠は仙台の青葉城、または会津若松の鶴ヶ城がモデルだとし、滝は子ども時代を過ごした大分県竹田(たけた)の岡城だと言っていたようで、歌碑もこの3ヶ所に建立されている。