Lorelei
Heinrich Heine
Ich weiss nicht was soll es bedeuten,
Das ich so traurig bin.
Ein Maerchen aus alten Zeiten,
Das kommt mir nicht aus dem Sinn.
Die Luft ist kuehl und es dunkelt
Und ruhig fliesst der Rhein,
Der Gippel des Berges funkelt,
Im Abendsonnenschein.
投稿[日時] 2007/05/23(水) 13:41:02 [名前] 大場 昭吾
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平成19年5月22日
ローレライの歌詞について
大場 昭吾
1.はしがき
私は80才である。戦争中の昭和19年に旧制中学を卒業した。音楽の時間にローレライを習ったが、その歌詞が現在一般に歌われているものと異なっている箇所があることが気になっていた。
このほど、その疑問を解明すべくインターネット、図書館などで限られた範囲ではあるが調べたのでその結果をまとめた。おおかたの参考に供しご意見などを伺いたいと思っている。
2.疑問は2番と3番の2箇所である。
一般の歌われている歌詞の漢字の部分はいろいろに書かれているので、仮名書きで記せば次のとおりである。
1番
なじか は しらねど こころ わびて
むかし の つたえ は そぞろ みに しむ
さびしく くれゆく ライン の ながれ
いりひ に やまやま あかく はゆる
2番
うるわし おとめ の
いわお に たちて
こがね の くし とり かみ の みだれ を
ときつつ くちずさむ うた の こえ の
くすしき ちから に たま も まよう
3番
こぎゆく ふなびと うた に
あこがれ
いわね も みやらず あおげば やがて
なみま に しずむる ひと も ふね も
くすしき まがうた うとう ローレライ
私は上記の部分の
いわお を
いわ として、また、
あこがれについて、
あくがれとして習ったことである。
説明の都合上、3番を最初に取り上げる。
3.3番の疑問について
広辞苑(第二版、岩波書店)によると、「あくが・る」の漢字は
憧る となっており、一説に、「あく」は「ところ」、「かる」は「離れて遠く去る」の意の古語。鎌倉末期から「あこがれる」の形があらわれる。としている。 解釈として「魂が肉体から離れる」、「物事に心を奪われて落ちつかない。そわそわする」とともに「思いこがれる」が載っている。また、「あこが・る」の箇所では、漢字は「憧る・憬る」で、(アクガルの転)とあり、解釈は、上記とほぼ同様であるが、「理想として思いを寄せる」の意が加わり、口語は「あこがれる」に相当しているとしている。
更に、「あこがれ」の箇所では、漢字は「憧・憬」で、解釈はあこがれること、憧憬とされている。
ローレライ伝説及び訳詩の全文からすれば、ライン河の急流にさしかかったところで、舟の漕ぎ人がローレライの不思議な魔力を持つ歌を聞き、魂を奪われて、岩礁を注意しないで、ローレライの歌っている上の方を仰いでいるうちに、岩礁に当たって人も舟も浪間に沈んだということであって、まさしくローレライの歌に「あくがれた」のであって、決して、口語でいう「あこがれ」・「憧憬」の念を持って、ローレライの歌を待ち望んで聞いたものではないことは明らかである。
私は広辞苑を見て、「あくがれ」も「あこがれ」も同じ漢字の「憧」が使われていることを知り、もともとの詩は
憧れと書いて「あくがれ」と戦争中まで読んでいたものが、戦後になって、「あこがれ」と読み誤ったものが、現在に至っているのではないかと思った。
そこで、インターネットで調べて見ると、近藤朔風がハイネの詩を訳したもので、明治42年に水野書店から出版されている「女声唱歌」の一部に収録されていることがわかった。近くの品川図書館を通じ、国会図書館からコピーを取り寄せたのが別紙である。これには、憧れに「あこがれ」と仮名が振ってあるので、はじめから「あこがれ」となっていたことがわかった。
注;(1) 国会図書館の「女声唱歌」は明治43年版であるが、42年版を持つ神奈川県立図書館に問い合わせたところ、42年版も43年版も同じであった。
(2) 近藤朔風は大正4年に亡くなっており、インターネット・グーグルでも「ローレライ」は著作権が消滅している一覧表に載っているので、ここに載せたものである。
では、なぜ「あくがれ」が採用されるようになったのであろうか? 察するに、「あくがれ」と変更した人は、ローレライの訳詞が文語調で書かれているのに、「憧れ」という漢字に憧憬の意味を持つ「あこがれ」という口語文に多く用いられる振り仮名が用いられ、それに起因して訳文全体の調和が保たれなくなることに違和感を覚え、その懼れのない「あくがれ」としたものであろう。
女声唱歌(水野書店、明治43年版)より抜粋
4.2番の「いわお」について
原訳では、巖頭と書いて「いはほ」と仮名が振ってある。現在の表記にすれば「いわお」である。私の習った「いわ」ではない。これについても、なぜ、「いわ」としたかの理由を考察する。
「女声唱歌」の楽譜では、1番、2番、3番が並列されている。
イハホニの部分に該当する箇所の1番は
ココーロと、3番は
ウターニといずれも3文字を長音でつないでいて、2番が4文字で構成されているのと異なっている。このため、全体の調子を揃え歌い易くしたものと考えられる。
5.誰がいつ近藤朔風の原訳に変更を加えたのであろうか?
「ローレライ」は古くから、四谷文子氏、奥田良三氏などによって歌われている。このうち、奥田良三氏については、「日本ポリドール蓄音機(株)」のレコードに録音されているものが、インターネット・グーグルで聞くことが出来る。これによると、奥田氏は、「昔の伝説(つたへ)
は」 を「昔の伝説
に」と、
は を
に に変えるなど数箇所を変更しているが、問題の「いわお」と「あこがれ」はそのままに歌っている。
「日本ポリドール蓄音機(株)」は1927年(昭和2年)に設立され、1942年(昭和17年)に「大東亜蓄音器レコード」に改名しているので、私がローレライを習った時期には、一般には「いわお」、「あこがれ」はそのままに歌われていたものと考えられる。
従って、「いわ」、「あくがれ」は、教えて下さった中学の音楽の先生の独自の発想による可能性が高い。旧制中学であるから男子校である。当時は、戦時色が強くなり、潜水艦、航空機などの音を識別するため、3つの音を種々組み合わせ、「ツエー、エー、ゲー」、「ツエー、エフ、アー」などとドイツ語の発音で区別する音感教育が行われるようになっていた。そのなかで、この先生は「ローレライ」、「菩提樹」「野バラ」など近藤朔風訳詩により、「女声唱歌」に載っている名曲を2部合唱で教えて下さった。学校当局もそれを許していたのであった。今にして思えば見識のある有難い教育であったと思っている。
注:旧制中学は、横浜市に在った私立浅野綜合中学校、現浅野学園であり、音楽の担当は石野 博先生であった。
級友の一人の11才年上の姉が神奈川県立第一高女で石野先生から音楽を習ったとのことであるので、石野先生は近藤朔風の訳詩の歌が好きで、浅野綜合中学校に勤務するようになっても授業に採用したものと考えられる。
つぎに、「いわ」については、私が平成7年ごろ購入したCD(新・抒情歌ベスト選集 美しき歌こころの歌)の 歌詞集(日本音楽教育センター発行)では、
巖頭の
頭を省き、「いわ」としている。この歌詞集は、喜早 哲 氏が監修している。喜早氏はダークダックスのメンバーであり、ダークダックスも「ローレライ」を歌っているので、確かめてはいないが、同じように「いわお」を「いわ」と歌っているのではないかと思われる。私の先生がそのほうが良かろうと歌詞修正した可能性が大きいと考えられると同じものが一般化するのを見るのは嬉しく感じる。
なお、前述の“歌詞集”で、
巖頭の
頭を省き、いわ巖としていることについては、
巖頭をそのままにして、振り仮名のみ「いわ」とするいわ巖頭にするほうが、歌詞を読んだ場合、名訳とされている原訳のイメージを損なう懼れがないので良いのではないかと思っている。
6.訳詩の修正に対する提案
前述の“歌詞集”で、原訳に修正をしてあるのに、訳詩・近藤朔風のままにしているが、曲については、作曲・ジルヘル 編曲・横山某として、原曲と異なったものであることを表示している。訳詩についても、原訳詩に手を加えた場合は、
編訳詩とでもして、原訳詩と異なること及び責任の所在を明らかにすることが必要であり、編訳者の業績を残すという意味からも適当と考え、そのようにすることを提案する。
7.あとがき
ローレライの歌詞について、私が戦争中に習ったものと、現在一般に歌われているものと異なっていることの原因は、私の当初の思い込みのように簡単なものではなく、誰かが、歌い易さの整合性、及び文語調の原訳全体の文意を考えて、口語調の要素が強く、かつ、文意を損なってとられる懼れのある振り仮名について、文語調にするなど、慎重な考慮のもとに主張を持った修正がなされたものであると考えられることがわかった。
私は、そのような修正がなされた場合は、例えば
編訳詩としても編訳者の名を明らかにすることを提案した。
今回のローレライの場合、編訳者は教えて下さった中学校の先生である確立が高いと考えられるが断定するまでには到らなかった。インターネットなどを通じて、明らかになることを望むものである。
以上