童謡を初めて作曲したといわれる人物。
野口雨情、西條八十、
北原白秋ら作詞家とのコンビで
「赤い靴」「七つの子」「青い眼の人形」などの名作を残した。
1885(明治18)年、東京の下谷区御徒町に生まれる。小さい頃から祖父と二人きりの生活を送る(この寂寥感が名世の作風をずっと支配したと指摘されている)。
1908年、東京音楽学校を全学部筆頭の成績で卒業し、その後、同校の器楽部助教授に職に就いた。同期生には山田耕筰が。
1920(大正9)年 に新日本音楽大演奏会で発表した
「十五夜お月さん」が大きな反響を呼び、人気童謡作家として知られるようになる。翌21年、「とんぼ社」(都築益世らが主宰)に
中山晋平、
弘田龍太郎とともに顧問に加わる。同じく西條が創刊した『かなりや』にも
野口雨情や山田耕筰らと作品を提供した。
当時の作品には「お山の大将」
「七つの子」「でんでん虫」
「青い眼の人形」「赤い靴」などがある。
娘たちをボーカリストとして積極的に全国を巡演し、童謡を広めたことでも知られ、敗戦直後に肺炎で亡くなるまで、オペラ、合唱曲をふくめ約780の作品を残した。