詩人、フランス文学者。日本の大衆歌謡史の中で欠かすことのできない作詞家でもある。
東京・牛込の生まれ。早稲田中学に学び、同校で生涯の師となる吉江喬松(よしえたかまつ)と出会った。吉江は農民文芸論の提唱者としても知られるフランス文学者で、早稲田大学文学部に仏文科を設けた人物。
10代の頃から文学的才能を発揮し、15歳の時には三富朽葉たちと同人誌『深夜』を発表している。早稲田大学在学時には、
三木露風、
山田耕筰らと『未来』を創刊。1919(大正8)年、27歳の時に最初の詩集となる『砂金』を発表。1921(大正10)年、早稲田大学文学部の講師となり、以後長く同校の要職に就いた。同年には童謡集『鸚鵡と時計』、詩誌『詩聖』を発表している。
戦時(1938年)には
古関裕而らと共に音楽部隊隊長として中支戦線に従軍。
戦後は、日本詩人クラブや日本詩人連盟を創立、このほか日本音楽著作権協会の会長も務めるなど、音楽〜文芸の世界で重責をになった。
童謡の作品としては「かなりあ」、歌謡曲としては「東京行進曲」「青い山脈」「蘇州夜曲」などたくさんの有名曲がある。
ちなにみ、松田優作が主演した映画『人間の証明』のキーワードとなる「あの帽子…」は、原作を書いた森村誠一が、西条の詞「帽子」(母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね? ……)に大きなヒントを得たもの。
なかしに礼が書いた小説『長崎ぶらぶら節』には、西条八十が日本の歌謡界で大変な権威者であったことがリアルに描かれている。
名前の「八十」は実名。「苦」を示す「九」を抜いた人生を、との思いで、親が付けたもの。