詩人、童謡作家。
歌謡曲としては敗戦直後の日本を代表する大ヒット「リンゴの唄」(歌・並木路子)、童謡では「小さい秋みつけた」「うれしいひなまつり」など、たくさんの名作を書いた人物である。また本業だけではなく、そのユニークな風貌も手伝って、ラジオやテレビなど放送メディアの勃興期に「タレント知識人」としても人気があった。
父は、「あゝ玉杯に花うけて」「少年讃歌」など少年小説の人気作家、佐藤紅緑(こうろく)。だが、その父が家庭を捨て女優の三笠万里子と同棲するようになると、長男であった八郎はグレ始める。八郎は学校を放校となり、勘当され、留置場へ。
小笠原の感化院では紅緑の弟子である福士幸次郎と生活、そして福士の紹介で
西條八十に弟子入りを果たした。
1926(大正15)年、処女詩集『爪色の雨』を出版。昭和の初めには、浅草の喜劇王、エノケン(榎本健一)一座の座付き作家となり、いよいよ異能ぶりを発揮し始める。当時の「二人は若い」「あゝそれなのに」など、トーキー時代の主題歌を見ても、洒脱で都会的、そしてユーモアにあふれた作風をそなえた新世代の作詞家だった。
1945(昭和20)年、大戦後初めての映画『そよかぜ』に挿入された「リンゴの唄」が空前の大ヒットとなり、彼の作詞家としての地位は不動のものとなった。
53年の童謡集『叱られ坊主』が4回芸術選奨文部大臣賞を受賞。それ以後は、童謡に専念。1973年、勲三等瑞宝章受章。日本作詞家協会会長、日本童謡協会会長などの要職も歴任した。
父の血を引き(?)、放蕩や奇行ででも知られた人物だったが、その佐藤家の「血の問題」は、異母きょうだいとなる佐藤愛子の『血脈(上、下)』(文藝春秋)に克明に描かれている。
ちなみに『血脈』は、NHKドラマ「ハチロー〜母の詩(うた)、父の詩(うた)」(2005年1月〜)の原作である。