ご存じモーツァルトについて、ちょっとマメ知識です。
ベートーベン、シューベルト、バッハ…ヨーロッパ・クラシック音楽における歴史的人物の名前は、私たちもよく知っています。中でもモーツァルトの音楽は、学校だけではなく映画、コマーシャルにと多方面に使われ、特に親しまれている一人だと言えるでしょう。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。そんな彼が、現在のオーストリア、ザルツブルクに生を受けたのは1756年1月27日でした。2006年の、この1月27日でモーツァルトは250回目の誕生日を迎えたことになります。
これを記念して、彼ゆかりのオーストリア、ドイツはむろんのこと、ファンの多い日本でもイベントやコンサートが行なわれています。
モーツァルトが、今も何かと話題に上る……つまり、みんなから愛されている証拠は、内外で頻繁に開かれる演奏会の多さだけに限りません。
エルビス・プレスリーは今も生きているといったウワサがあるように、歴史的な大人物には本当かどうか疑わしい不思議な話がつき物です。モーツァルトで言えば、名作として名高い映画『アマデウス』(84年、ミロス・フォアマン監督)にも登場する、毒殺説も有名です。そして、こんなことも…
2006年1月8日(日本時間9日午前)、オーストリア国営テレビはドキュメンタリー番組の中で、「ウィーン古典派の大作曲家モーツァルトのものとされる頭蓋骨の遺伝子(DNA)鑑定結果を明らかにした」と発表しました(読売新聞インターネット版/2006年1月10日0時10分更新、から)。
この頭蓋骨は、1902年から国際モーツァルト財団(ザルツブルク)が保管してきたもの。頭蓋骨は、これよりさらに古く1801年、ウィーンの墓地で「発見」され、そして現代に至るまで幾度となく真贋論争が続いてきたのだそうです。
今回、その論争に最終決着をつけよう! ということでスタートしたのが……彼の生地であるザルツブルクにある親族のお墓から発掘した、祖母と姪のものとされる遺骨のDNAサンプルを、この頭蓋骨に付いていた2本の歯から摘出したDNAサンプルと比較する……という企画でした。
なにしろ2006年は生誕250周年ですから、ヨーロッパではずいぶん注目されたようです。
たとえば、「インスブルック大学のワルター・パーソン氏はDNA比較によって明確な答えが出たことを示唆し、結果が米国の有名な研究所で百パーセント確認されたと述べている」(時事通信インターネット版/2006年1月9日0時20分更新、から)
と、期待するに充分の報道もなされていました。
で、結果は?
……わからない!
調べたどの遺伝子とも、血縁関係を証明するDNAの一致をみることができなかった、のだそうです。
なんともはや。ま、それだけ、モーツァルトは21世紀になっても人気があるということだけは間違いないようです。
<2>神童登場…歴史上、彼ほど早熟な音楽家はいない?
神童といえばモーツァルト。天才音楽家といえば、まずはモーツァルト。
それほどまでにモーツァルトは、小さな頃からとてつもない楽才を発揮した人物でした。 では、もうファンには有名な話を、改めていくつか挙げてみましょう……。
3歳にして彼は、お姉さん、ナンネルのレッスンの様子を傍で聞いて、クラヴィア(ピアノの前身)で自分で和音を弾き出すことが出来たそうです。
正式に教えたこともないのに、バイオリンも弾けるようになりました。
そして5歳になった時には、クラヴィアを用いて作曲を始めたというから、マジで凄い。
この「天才出現!」のニュースは世間(貴族社会)に一気に広まり、6歳の頃にはウィーンほか各地の貴族たちから大変な注目を浴びるようになります。
例えばウィーンでは、シェーンブルン宮殿で御前演奏を成し遂げ、評判はさらに大きなものとなってゆきます。
ちなみにこの時、宮殿で滑って転んだ彼を助け起こしてくれたのが、1つ年上となる皇女マリー・アントワネットでした。モーツァルトはこの時、彼女に結婚を申し込んだことも、少年時代のエピソードとして知られています。
9歳(1765年)、最初の交響曲を作曲。
14歳(1770年)、イタリアでは教皇クレメンス14世より「黄金拍車勲章」を授与(音楽家として最高の名誉を意味する称号)。
15歳(1771年)、ヴェローナのアカデミアから名誉楽長の称号を授与。
……と、ヨーロッパの貴族社会で名声をほしいままにした少年が、モーツァルトでした。 でも、もしかしたらこの演奏旅行に明け暮れた少年時代が、彼にとって、一番に幸せな時だったのかもしれません。
というのも、モーツァルトがさらに自分の才能を発揮し始める20代からの短い人生は、その輝かしい作品群には見合わないほど評価の小さなものだったからです。
モーツァルトは死後、高く認められる存在となるのですが、彼が35歳の若さで亡くなった時(1791年)、葬儀は第三等扱いだったそうです。すなわち、ごく一般の市民として彼は埋葬されたわけです。
「遺骸は共同の墓穴に埋葬された。墓標はおろか十字架の一本も立てられなかった。亡骸(なきがら)が眠る正確な場所はだれも知らない」(田辺秀樹著『モーツァルト』新潮文庫)
今となっては、ちょっと信じがたいほどの扱いだったのです。まさしくモーツァルトは、貧しく不遇の音楽家として亡くなりました。
そしてモーツァルトが亡くなって2年後、もう一人の歴史に名を残す人物が命を落とします。今やルイ16世の妃となっていたマリー・アントワネットです。彼女は、フランス革命の渦中、ギロチンにかけられこの世を去ります。
<3>モーツァルトでダイエット、薬もいらず、ってホント?
インターネットで「モーツァルト」を検索していると、さすがに超大物、たくさんのサイトが見つかります。多くは音楽関係。
ですが、それだけではない、オヤ? と思うものも散見されます。例えば、モーツァルトを聞いていると脳や体の細胞が活性化する、ダイエットに効果的、快眠にもいいみたい……と、たくさんの書籍が発売されていることがわかります。
例としては以下のような本が(amazon.comから)
*モーツァルトで癒す―音と音楽による驚くべき療法のすべて ドン キャンベル (著)、 その他
*アマデウスの魔法の音 快眠力 ドン キャンベル (著)、その他
*モーツァルトを聴けば病気にならない! 和合 治久 (著)
*音楽脳入門―脳と音楽教育 ドン・G. キャンベル (著)、 その他
*聴くだけでやせる!モーツァルトダイエット 深川 光司 (著)、 深川 富美代 (著)
モーツァルト、まさに「聞くお薬」という感じです。野菜に聞かせると糖度が増した、という結果もあるとか。
きっとみなさんも、こういう話のいくつかはどこかで耳にされたことがあるはずです。
確かにモーツァルトは歌劇、交響曲、ソナタほか、たくさんのスタイルで、たくさんの名作を書いた人物ですから、耳に心地良いことは間違いありません。でもそれだけだったら、バッハからビートルズに至るまで、名人・天才級の音楽家は歴史上、相当数に登ります。
果たしてモーツァルトが特に、こういった<身心にいい音楽>かどうかは、みなさんがご自身で考えていただくこととして、一つ興味深いのは、モーツァルトは普通の人間とは違う幼年期を過ごしたがゆえに、自分の際立った音楽的才能を、文字通り独自に開発できた人物だったと言えるかもしれない、ということです。
たとえばモーツァルトの音楽は、高周波音を多く含んでいると言われています。高周波音は、脳神経などを心地良く刺激し、それゆえに人体に良い影響を及ぼすとされているのですが、ではなぜモーツァルトの音楽が特に?、ということです。
それは彼の小さな頃の育てられ方が大きいはずだと、篠原佳年(しのはら・よしとし)氏は指摘します。
篠原氏は『モーツァルト療法』や『絶対モーツァルト法』などの著作を持つ医学博士ですが、氏は、モーツァルトは音楽にあふれた生活、そしてなにより幼少において虚弱だったモーツァルトに対する深い母親の愛情を一身に受けたことによって、ストレスの極めて少ない特殊な耳を持つに至った、それが彼の(豊かに人の身心に訴えかける)音楽作りに反映している、と篠原先生は説きます。
というのも、私たち一般人が言葉を話すようになり、社会性を帯びると、しなやかで高性能の「原始耳」(篠原氏)は急速に衰えてゆくのだそうです。モーツァルトは、そのずば抜けた音楽的才能をそなえて生まれ、「原始耳」が変化することないままに成長したがゆえに、稀有の音楽家となった……ゆえに、彼の音楽は万人の心に響き、その音楽の中には我々が失った原初の音が込められている、というわけです。
果たして、みなさんは、いかが思われますか?
モーツァルトがいかに素晴らしい音楽家であったか、ということは「モーツァルトの子守唄」という美しい歌の題名でもわかります。
そうです、「ブラームスの子守唄」「シューベルトの子守唄」などと並んで……と、思わず勘違いしてしまいそうになるのが「モーツァルトの子守唄」です。
知っている人は知っているこの歌の作者、実は、ベルンハント・フリース(Bernhard Flies)という名のドイツ人なのです。フリースは1770年頃にベルリンで生まれたお医者さんで、作曲もこなした人物だったそうです。そんな彼が作った歌が「お眠り、私の可愛い王子様(Schlafe mein Prinzchen)」でした。
歌詞は、フリードリヒ・ウィルヘルム・ゴッターが担当しています。
この歌は、モーツァルトが亡くなり(1791年)、ドイツでモーツァルト・ブームが巻き起こっていた1796年頃に世に出た作品でしたが、こんなに美しい曲を作れるのはモーツァルトしかいないと当時の有識者が言い出し、ついにこの歌は「モーツァルトの子守唄」と題されるようになったのだそうです。
今では「フリースの子守唄」とも記述されるようになっていますが、天上のフリース氏はこのことについて、どのように思っているのでしょうか。
歌劇「魔笛」や「フィガロの結婚」などの傑作に接すると、モーツァルトはえらく堂々とした人物だったように思えます。それほど素晴らしい大作を彼はいくつも完成させたから、なおのことです。
しかし彼モーツァルトは、背が低く、いつも冗談や駄洒落、笑いを忘れなかった人だったとも言われています。名作を次々と書き表した晩年の彼は、そのかたわら金策に追われ、何度も何度も借金を請う手紙をしたためる日々を送っていましたが、病気がちの妻には、自分がもがき苦しんでいる姿を見せようとしなかったといいます。
モーツァルトは、ウンチやオナラといったシモの話がとても好きな人物としても知られています。
そのお相手(文通相手)は、従妹のマリア・アンナ・テクラ・モーツァルトで、<ぼくのお尻がウンヌン>、といったずいぶん下品で駄洒落たっぷりの書簡をマリア嬢に送っていました。映画『アマデウス』でも、モーツァルトが聖人君子ではなかった様子が描かれていましたね。
そんな、悪ふざけ屋、イラズラっ子の側面と、驚異の音楽的才能をブレンドしたような……これぞ実像モーツァルト(?)としての作品を、最後に紹介しましょう。
これまた有名な「音楽の冗談」です。
この曲、音楽の作り方を何もわかっていないダメな作曲家たちを皮肉ったものだと言われています。「音楽の冗談」は、当時の音楽のルール/決まりごとをわざわざ破り、お前たちはこういうことをやっているんだぞ、と笑ってみせるわけです。現代の、それこそ何でもアリの時代に育った耳からすれば、いくぶん急ぎすぎの作りだなという程度の皮肉ではありますが、当時の貴族音楽の中ではずいぶん異質な音楽だったようです。
ただ、それがモーツァルトの場合、嘲笑のため、あるいは単なる冗談音楽にはならなくて、しっかりとした構造の音楽として完成されているというのが、この人の底知れぬ才能と言えるでしょう。