大正10年(1921年)3月30日初版
船頭小唄
民謡「枯れすすき」として発表され、その後、
中山晋平がメロディをつけて「船頭小唄」となった。
「カチューシャの唄」(同じ晋平の作曲)などと並ぶ、日本大衆音楽史における画期となる作品である。
「船頭小唄」の前提となるのは、日本の在野の知識人が「子ども」なるものと向き合った童謡運動であり、同じく日本の「風土」「民衆」と向き合うことでつむぎ出された民謡(の作り変え)である。これらの作家活動の中からは、
北原白秋や
野口雨情ほか数多くの才人たちが、たくさんの名曲を残し、官主導の唱歌と共に日本人の音楽的な感性を大きく変えることになった。
この流れから生まれ、のちの(昭和時代以降の)演歌などがかもし出すメランコリズムの基本を提示したのが「船頭小唄」だった。発表ののち、歌はまたたくまに全国へ広がったが、単に人々に愛唱されただけでなく、せまり来る戦争の季節を暗示していたとも言われ、また関東大震災(大正12年)を予言した歌だとも言われたほどに大きな説得力を持っていた。
雨情の詞は、多賀郡磯原村(現・北茨城市)に生まれた彼にとっても馴染みのある利根川を舞台にしている。その枯れはてた情景は、不遇の時代を経験した雨情の心の反映である、とも言われているが、それだけではない。ちなみに歌の後半に織り込まれている「
潮来出島 」とは、潮来の町の南に広がるデルタ地帯のことで、この地域ならではの水郷(水路)とあやめの花と、船頭という風物詩は、江戸時代から長唄の「藤娘」や端唄などでよく使われていた。つまり「潮来出島」(潮来節)という、江戸の花町で洗練された色恋の歌がそれだが、このイメージを雨情は「船頭小唄」でまっこうから払拭しようとしているのである。こんなところにも、作家としての彼の姿勢が見えるようである。
なお歌詞に出てくる「
眞菰 」とは、湿地帯に生えるイネの仲間で、しめ縄やむしろなどを編むのにも用いられる多年草である。
「潮来出島」(潮来節)
潮来出島の眞菰のなかで あやめ咲くとはしほらしや
サーヨイヤサー アーヨイヤサー
花はいろいろ四季には咲けど 主に見返へる花はない
サーヨイヤサー アーヨイヤサー