最も有名な唱歌の一つ、「蛍の光」の原曲。
「オールド・ラング・サイン」(old long since=昔むかし)は、地元のスコットランドでも広く親しまれ、さまざまな集まりにみんなが輪になって歌う。2番になると、少しテンポが上がるのも特色で、懐かしい仲間との再会を祝して杯を酌み交わそうと歌われる。
詞を書いたのはロバート・バーンズという高名な詩人。彼がスコットランドの古謡を元にして1788年に発表した。バーンズの詞には、かつて別のメロディで歌われていたが、最終的にジョージ・タムソンが発表したこのメロディに落ち着いた。同じメロディを元にした讃美歌に「目覚めよ我が霊」(370番)があり、こちらの歌詞はフィリップ・ドッドリッジが1755年に発表したものである。
日本に紹介されたこの歌は、稲垣千頴(いながき・ちかい)によって、原詞とはまったく異なる歌詞が付けられ、これが「蛍の光」となり(元々は「蛍」)、卒業式などの別れの場や、新しい門出にふさわしい名曲として歌い継がれてきた。
いっぽう日本の軍国主義時代、「蛍の光」あるいは「オールド・ラング・サイン」のメロディは日本を経由して朝鮮半島や台湾、中国本土にも紹介され、日本とはまた別の浸透をしたことが知られている。たとえば日本の侵略に対して独立を目指した朝鮮半島の抵抗運動においては、このメロディにあわせて「わが大韓万歳!」と歌われた(1896年)。愛国歌として知られるこの詞は、同時に賛美歌14番としても知られている。また、1948年までは韓国国歌であった。
韓国の映画では、日本の政治家などが殺される場面になると、よくこのメロディが象徴的に流され、日韓の過去を象徴するものとして使われている。
Auld Lang Syne
Robert Burns
Should auld aequaintance be forgot,
And never brought to mind?
Should auld acquaintance be forgot
And days of lang syne,
For auld lang syne, my dear,
For auld lang syne,
We'll tak'a cup o' kindness yet,
For auld lang syne.