江戸時代
大津絵節
滋賀県民謡
「大津絵節」は、
江戸時代に流行し明治に入っても広く歌われた。元々は東海道の要所として知られた大津の遊里(柴屋町)で遊女らが歌い出したものだという。
元唄にある「げほう(外法)梯子ずり…」と始まる文句は、この土地の民画「大津絵」を歌い込んだもので、護符として売られた十種が中におり込まれている。ちなみに絵柄にある「外法と大黒の梯子剃り」(寿老人)は長命を願い、「雷公の太鼓釣り」は雷よけ、「藤娘」は良縁を願う。
この歌が全国に伝わり「京都大津絵節」「会津大津絵節」などともなり、様々な歌詞が出来上がった。
ここに紹介した「オイオイ親父どの…」と「大阪を立ち退いて…」の二つは、その代表的な文句で、前者は「仮名手本忠臣蔵」に登場する与市兵衛(元赤穂藩士萱野三平の義父)が、三平を赤穂浪士とするために実の娘を祇園へ身売りしてきたその帰り道、フトコロの金を狙う浪人・斧定九朗に殺害される場面を歌いこむ。
後者は、これも有名な、死罪と知りながら公金に手をつけた忠兵衛と恋人の遊女・梅川の凄絶な物語「冥途の飛脚」の終幕近くを歌いこんでいる。また、この作品を書いた近松門左衛門は、絵師「吃(ども)の又平」を主人公とした「傾城反魂香」によって大津絵を全国的に紹介した人物でもあり、大津絵(大津絵節)〜吃の又平は、明治以降の浪曲や河内音頭などにも登場する。