明治45年(1912年)
『
尋常小学唱歌 第三学年用』
茶摘
かつての日本の夏前の季節感を浮かび上がらせた秀作。歌詞の冒頭にある「八十八夜」とは、立春から数えて88日目にあたる5月2日頃のことをいい、この日からは陽気もよくなり霜の害もめっきり減るといわれてきた。もちろん、歌詞にあるように新茶の時期でもある。1912年(明治45)年、『尋常小学唱歌 第三学年用』に発表される。
なおこの唱歌は、京都の宇治田原村(現・綴喜郡=つづきぐん=宇治田原町)の茶摘歌をベースにしていると言われてきたが、
「宇治田原ふるさと歴史クラブ」による検証(茶文化考〜「茶摘」の歌についての考察)では、
<宇治の茶摘み歌では「あれに見えるは茶摘みぢゃないか 茜襷に菅の笠」が見られる。田上の歌の「お茶をつめつめ つまねばならぬ つまにゃ日本の茶にならぬ 」とあわせてこれらが唱歌に採用されたのではないか。一方で宇治田原にはこのような歌詞を持つ歌は知られていない。>
と指摘している(宇治の茶摘み歌=京都府宇治市の歌を指す。同じく、田上は、滋賀県大津市高砂町)。投稿でこの情報をいただいた細川右馬守氏に感謝します。
*付記*
asahi.comの記事『宇治では見えない茜襷(あかねだすき) 唱歌「茶摘」』(2010年6月4日付)では、
<宇治市歴史資料館の坂本博司館長(55)によると、茶にまつわる歌は、明治45年発行の「尋常小学唱歌」に掲載された唱歌「茶摘」のほかに、葉を選ぶ茶撰歌、葉を揉む焙炉師節もあるそうです。ただ、「茶摘」については「この風景は宇治ではない」と指摘しました。宇治では畑に覆いをするため、茜襷の女性たちが茶を摘む姿が外からは見えないからです。「明治になって生産が突出した静岡の、それも輸出用の茶を摘む風景ではないか。わざわざ『日本の茶』と言うのだし」>
と、また別の考えを持つ関係者がいることを伝えている。