日本の大衆歌謡に大きな足跡を残した作曲家。長野県に生まれる。
島村抱月の家で書生生活を送りながら東京音楽学校を卒業、幸田延やユンケルらにも師事した。大正2年、抱月が
松井須磨子と芸術座を旗揚げした時に、中山も同行し、劇中歌として
「カチューシャの唄」「ゴンドラの唄」を発表する。
「カチューシャの唄」は、須磨子人気と共に全国的に浸透し大正期を象徴する1曲となった
抱月の死による芸術座の解散にともない、彼は童謡へも進出、ここでも「
てるてる坊主」ほかの作品で異能ぶりを発揮した。
野口雨情たちとともに日本民謡の調査も始め、雨情との共同作業の中では
「船頭小唄」という、その後の歌謡曲の進む道を決定づけたとも言える画期的な作品を生みだした。
このほか
「波浮の港」「出船の港」「東京行進曲」など多くのヒット曲を持つ。